藤井風について

昨年は色々あった年だった。変化のあった年でもあった。僅かながらだが、少しずつ生活がまっとうになっていく手応えも感じていた。
一年の締めくくりを平穏無事に過ごすはずだったのだが、年末、思いも寄らないアクシデントに見舞われてしまった。

それは、本当に些細なことだった。いつものようにキッチンで夕食の準備をしている時だった。
鳴り止まない電話。その時、スイッチが入ってしまった。私の何かが壊れたのである。抑えがたい感情が一気に噴出してしまった。
自分の中にある人に対する憎悪、えげつない暴力を感じた。植え付けられた暴力、それは、いつまで経っても消えないのであった。
隠しても、どうにも誤魔化しきれない暴力が、肌に血にしみついているのを感じた。
負の連鎖。暴力は連鎖していく。異常なくらいの時間に対する強迫観念(急がなくてもいいのに、誰かにいつも急かされているような気がする)と、物事は完璧でなければならないというプレッシャーがある。
それは私を精神的に追い込んでいく。人に当たってはならないから、人の見ていないところで毒を吐く。物に当たる。
だが、何かを傷つけると、翻ってそれは自分も深く傷つくのであった。
私は、今まで生きてきて、他人に1ミリたりとも心を開いたことがあっただろうか。頭の中は、猜疑心でいっぱいだ。
孤独の中にしか安らぎを見出せない。誰にも踏み込ませないし、踏み込まないというこのスタンスは、変わることがないように思う。
年末の買い物を終えた帰り道、私はふいに消えてしまいたいと思った。自分で死ぬ勇気はないから、誰かが私を刺し殺してくれないだろうかと考え、体をズタズタに切り刻んでドブ川に捨ててほしいと願った。
こんな自分が生きていていいのだろうか?と思ってしまったのだった。
帰宅して、ゾッとするような恐怖を感じ、布団にくるまり泣いた。

私をなだめるものは何もなかった。そんなものはどこにも存在しなかったのだが、たまたまパソコンを開いたら、藤井風の音楽があった。
私が彼を知ったのは、2020年、ファーストアルバムが出る前だった。偶然、ラジオから彼の『優しさ』という曲が流れてきたのである。
私が藤井風を知ったのはその時だったのだが、声がいい、歌が上手いというのはもちろんのこと、それ以上に包み込まれるような感覚を抱いた。なんて繊細で思慮に溢れた音楽なのだろうと思った。
そして、調べてみたら、彼がまだ弱冠22歳くらいであるということに驚いた。しかも、自分で曲を作り、詩を書いている。類まれなる才能を発見した瞬間だった。
さらに驚くべきことに、YOUTUBEで彼の姿を拝見したら、とても整った面立ちをしていて近寄るのも恐れ多くなるくらいのルックスだったのである。
天は二物を与えるというが、それは本当にあるらしい。

昨年、彼の楽曲『死ぬのがいいわ』が世界中で聴かれたという話題を耳にした。これは納得だった。彼の音楽性は、世界に通用するレベルのものであると思っていたから。
彼の活動を見るにつけ、音楽に対する揺るぎない誠実さ、妥協のない精神を感じる。とても平明な言葉であるのに、彼が紡ぐメッセージは、とても深い。陳腐なラブソングを聴き飽きてしまった私にとって、彼の言葉は自分に響くものがあった。
私は彼の音楽に出会えて本当に良かったと思う。
恐怖の年末だったが、彼の歌声を聴いたとき、何故なのか、すっと心に入ってくるものがあった。心が解きほぐれていく感覚が広がったのである。
それは押しつけがましさのかけらもなく、私に染み込んでいった。

自分の中にある恐怖と不信感は消えない。人に優しくありたいと思う、そうあるべきだと心から思うが、普段は押し殺している感情、見て見ぬふりをしている暴力性は自然に消えていくわけではない。
生きている限り私はこの暴力と向き合っていかなければならないだろう。
そして、自分の受けた暴力に対して許すべきなのか。その答えはまだ見つかっていない。
私は、いつか人をこわいと思わなくなり、信じることが出来るようになるのだろうか。とりあえずは、生きていかなければならない。何が正解なのかはわからないが、もがきながらも、手探りでさぐっていく他ない。
それでも生きていて良かったと思える日々に出会えることを信じたい。
思いもかけず、私の心を救ってくれた藤井風の音楽に感謝する。ありがとう。

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