『愛人(ラマン)』レビュー

久々に観た映画がある。マルグリット・デュラスの体験を本にした『愛人/ラマン』の映画である。
この映画が公開されたとき、私は小学生であった。
地元の商業施設に小さな映画館が入っていて、ポスターが飾ってあったので、よく覚えている。そのときは観ていないし、こどもなのでよくはわからなかったが何か鮮烈に焼きついた。
おさげ髪の少女、少女であるのにドキリとするような艶かしさをもつ眼だった。見てはいけないものを垣間見たような、あやしい気持ちになった。

私がこの映画を観たのは大人になってからである。
デュラスの本を読んだのも、たぶん大人になってからのことだ。
『愛人』は、インドシナがフランス領だった頃の話。デュラスは、まだ15歳だった。
白人でありながら、アジアの地に住んでいる彼女の暮らしは貧しかった。彼女らしさを誇示するものとして、帽子がある。男物の帽子。当時、そんなファッションをする娘はひとりも居なかった。彼女はいつもこれを被っている。そして、金羅眼の刺繍の入った靴。
彼女は「発見」されるのを待っていた。
そして、ついに「発見」された。ある男によって。
男は突然現れる。彼女が船の渡し場に佇んでいるとき、黒塗りの車に乗ってやって来た。
中国人。歳は彼女より離れている。年上の男。
彼は臆病さを見せながらも、勇気をだして彼女に話しかける。煙草を差し出す手が、微かに震えている。
物語はこうして始まる。この出会いは、決定づける。この出会いがなければ、マルグリット・デュラスという小説家は生まれていなかったかもしれない。それほどに、個人的で、濃密な時間だったと思う。
この中国人の男は金持ちで、つまり貴族のようなものだった。彼は金持ちであるがゆえに働く必要がない。
彼女をショロンという中国人が暮らす地区の別宅へ連れていく。そこで二人は、二人だけの時間を持つ。愛なのか快楽なのか。ただお互いを感じる時間。
彼は最初、戸惑いがある。しかし、彼女のほうは躊躇いがない。羞恥もなく、「私を抱いてほしい」と口にする。愛がなくてもいい、ただ知りたいのだ。この男の肌を、どんな愛しかたをするのかを。
この映画には、というか、彼女には偏見がある。愛してくれる、お金をくれる、「愛人」の彼をどこか見下しているのだ。それを知りながらも、男は彼女を愛する。深く愛してしまって、病むほどに。
もともと結ばれようがない関係。少女のほうは、快楽を得て満足している。したたかに人生をつかんでいく。このしたたかさ、それがデュラスという人の強みなのかもしれない。
少女は、男の経済の援助があり、フランスへ帰国出来ることになる。一人、フランスへ帰る船に乗る少女。デッキにいる彼女の目に、あの黒塗りの車が見えた。男は、最後まで彼女を愛することをやめなかったのだ。
そして、終盤。船が出航したあと、ピアノの旋律が流れてくる。ショパンを聴きながら、彼女は、もしかしたら私はあの男を愛していたのではないかと気づく。普段、涙を見せない彼女が唯一泣く場面。
涙というのは良い。この映画のなかで、愛人も涙を流す。男の涙。私はそれをあまり見たことがないが、男が流す涙は本物のような気がする。そして、それは美しい。私の心を震えさせる何かがある。

彼女が体験したことは、私にとっては未知の体験のように思えた。
今でも時々、思う。黒塗りの車に乗った男が現れたらいいのに。私を何処かに連れ去って行ってくれたら、どんなにいいだろうと。
私はずっと待っている。永遠に現れることのない、まぼろしを。
最近、幻夢をみた。夢のなかで、私は愛された。小説の少女のように時間の感覚さえ無いほどの愛に溺れた。私だけの秘密。私だけの悦楽。私だけの、愛人。心のなかに閉まっているものは、誰にも奪えやしない。
これは、私のために書かれた物語のように思っている。
だって、これは自分の手で選んだものだから。それを私は愛する。永遠に夢みることが、おそらく…永遠だ。

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