『ミツバチのささやき』レビュー

アナ・トレントを見ると、一人の少女を思い出す。
私が小学校3年のときに転校してきたHさんだ。
映画『ミツバチのささやき』(1973年スペイン)で主人公のアナを演じるアナ・トレントは、とても可愛い。
Hさんもとても可愛かった。彼女もアナのように短く黒い髪をしていて、瞳が大きかった。
私はビクトル・エリセ監督の作品を観るのは初めてだった。古い作品ながら、その純粋な感性に心打たれた。
歴史的な背景はよくわからなかったのだが、1940年のスペインのある村を舞台とする。

ある日、村に映画のフィルムがやってくる。公民館で上映されたのは、『フランケンシュタイン』。アナとイサベルの姉妹は、この映画を鑑賞。
その夜、アナはイサベルに、どうしてフランケンシュタインは少女を殺したのか、そしてフランケンシュタイン自身も死んでしまったのかと聞く。
まだ子供のアナにとって、この映画はとても興味をひく内容だったようだ。姉のイサベルは、フランケンシュタインは死んでおらず、森の精霊だと告げる。村外れに隠れていて、自分の名前をつぶやくと出てくると。
すっかりその話を信じ込んでしまったアナ。内戦終結後のスペインに流れるどこか寂しく険しい雰囲気のなか、アナたちは生活している。そんな折、アナは廃屋で傷を負った兵士に出会うのだが…。

子供というのは純粋である。だが時に大人をもぎょっとさせる一面を持つ。
無邪気な天使のようでいて、私はその存在がおそろしい。
アナとイサベルの夜のひそひそ話は、私にHさんとのひそひそ話を思い起こさせた。
「ねぇ、こどもってどうやってできると思う?」
そう問いかけるHさんの瞳はアナのように疑いがなく、純真で、それ故に私をびっくりさせたものだ。
「う~ん。わからないな」
「きっとコウノトリが運んでくるのよ。きっと!」
そう言うとHさんは団地の階段から羽ばたくように駆けていった。そのまま、追っかけっこ。
私も当時子供だったために彼女の話を思い切り信じてしまうのだが、子供はこういう虚構の遊びが大好きである。
また、Hさんはシングルマザーの母親と歳の離れたお兄さんと暮らしていた。可愛さの中にどこか独特の陰りがあるのは、彼女が孤独を感じていたからだろう。
私は当初Hさんと仲良くなれたことを嬉しく思っていた。しかし、アナのような顔をしたHさんは、自分でも気づいていない深い闇のようなものを抱えていることが次第にわかってくる。
ある時は私の自宅のタンスの引き出しを開けるだけ開け倒し(私の母は憤慨していた)、休みの日もどこかから帰ってくると何故かHさんが私の家に居たりするのだった。
とうとう息苦しさを覚えてしまった私は、小学校高学年のクラス替えでHさんと別々のクラスになったことを残念に思うどころか安堵を感じたくらいだ。

アナ・トレントを見ると苦しい。
最後にHさんと遊んだのは私の父が連れて行ってくれたスケート場だった。
その時の写真がどこかに残っているはずだが、私の表情が疲れているのに対し、Hさんは満面の曇りない笑顔で私を見ているのだった。
恐れも迷いもなく、私を信じているその視線。
私は彼女を裏切ってしまったのだろうか。
『ミツバチのささやき』のアナ・トレントを見ると、あの子供時代を思い出す。それは甘く楽しいだけではなく、痛切に胸がしめつけられるような苦しさなのだ。

 

 

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