『ベティ・ペイジ』レビュー

私がベティ・ペイジに出会ったのは、ドイツの出版社TASCHENが出していた女性写真家のバニー・イェーガーのポストカードブックだった。
ベティは1950年代アメリカで活躍したピンナップガールである。
セックスシンボルといえば、マリリン・モンローを思い浮かべる人も多いだろうが、彼女はまた違ったアイコンである。当時も今でも人気がある。
私が初めて見た彼女の姿は、あどけなく幼女のようで、まるで天使だった。
実際、天使のように純真だった。映画『ベティ・ペイジ』(2006年アメリカ)は、そんなベティのモデル時代とアメリカの50年代の性産業を描いた伝記物語である。

ベティは子供の頃から、教会へ行くことが好きで、勉学熱心だった。
しかし、結婚生活も破綻し、ナンパされた男について行ったら大勢の男たちに性的に辱められるというトラウマを負った。
神に祈ることさえ、彼女の傷ついた心を慰めるのは無理だった。
そんな彼女が、ひょんなことからボンデージ雑誌のモデルになる。女優を夢見て演劇学校に通うかたわら、彼女は様々な写真を撮り映画にも出演した。
コルセットビスチェにガーターベルト、黒いストッキングに鞭を持って。時には裸で、時には縛られて。
劇中には、バニー・イェーガーも登場する。私が思うに、彼女が一番ベティの魅力を引き出した写真家だと思う。
彼女の写真の中で、ベティは天真爛漫そのものだ。セクシャルというより、その自然な明るさがキュートだ。写真として、モデルとして、人を惹きつけるなにかがある。

ただ、古き良きアメリカは道徳にもうるさかった。性に対してはタブーで、みんな口を閉ざすというような。
マニアたちはボンデージのピンナップを手に入れるために、その手の専門店に通った。しかし、そこは取り締まりの対象だった。
ベティやピンナップ雑誌にかかわった人たちは裁判にかけられる。猥褻本の追放ということだ。一部の男性からは高い人気を得ていたが、世間や政府からのバッシングは厳しかった。
猥褻とは、何なのか。私は性も肉体も自然の一部だと感じる。性をタブー視することは、本質的に人間そのものを否定するということに思える。
SMやボンデージに興味はないが、それが人を傷つけない限り自由であってよいのではないか。性的趣向は、犯罪を犯さない限りは自由であるべきだと思う。
たしかに青少年や子供たちへの悪影響への危惧もある。だが、大人が正しく性を扱えば、必ずしも悪い影響だけではない気もするのだ。
だって人間の存在そのものが生まれながらに罪深いものになってしまう。この問題は、個人的には興味深いテーマだ。

最近、興味をひく写真家を発見した。ロイ・スチュアートという写真家で、彼の作品をいくつか見たがとてもセクシャルで気になった。
そのエロティシズムは、映画的な美。調べたら、彼は映画出身の写真家だと書いてあった。納得である。それは低俗なエロではなく、芸術的といえる。
官能というのは美に直結するインスピレーションを生むことがある。私はその美の崇拝者である。

ベティ・ペイジ。彼女は、結局モデルを引退した。最後まで神を信じる気持ちを捨てなかったのである。
ボンデージは私にとって未知の領域だが、いまだに彼女をプリントしたTシャツなどが販売されていることに驚く。
時を超えて、それだけ人気があるということなのであろう。時間を止めたピンナップの中で、彼女の笑顔は最高に輝いている。

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