『花束みたいな恋をした』レビュー

『花束みたいな恋をした』鑑賞。
菅田将暉と有村架純のW主演による本作は、恋人たちの5年間とその別れを描いたラブストーリー。
絹(有村架純)と麦(菅田将暉)は、ある夜終電を逃したことから偶然に出会う。
二人は大学生なのだが、行きたかったお笑いライブも音楽も本の趣味も一致し、互いに共鳴し合う。
そのまま恋人になった絹と麦は、大学卒業後フリーターをしながら一緒に暮らし始める。
絹との生活を守ろうと就職し、仕事に忙殺される麦。その麦に対して、次第に価値観の違いを覚えていった絹は…。

この映画で描かれている、ほんの少しのすれ違いは誰にでも経験があることだろう。
付き合いたての二人が、ずっと同じ純度で恋を保ったままいられることのほうが不思議なことだから、ありふれたことともいえる。
でも、私も絹と同様哀しかった。麦が二人の共通項である❝好きなもの❞を忘れていってしまうことが。
ずっと二人で暮らしていくために、生活をしていかなければならない。勿論、その生活をしていくには働かなければいけないわけで、やりたくないこともやらなければならない。
麦は出会った頃はイラストレーターを志していた。その絵を「私は好き」と言った絹。しかし、それがお金になるわけではなく、麦はもう絵を描くこともなくなっていた。
二人のあいだにあるのは、ただ一緒に暮らしているということだけ。
私はそれでも、好き合った男女が一緒にいられることだけで、それがどれほど幸せなことかと思ってしまうのだが。
二人は気持ちが冷めたとかそういうことではなくて、何か現実に阻まれて小さな溝がだんだんと心に広がって違和感が生まれてしまったのだと思う。
その溝を埋めるべき❝好きなもの❞がもう麦の中にはなかったのか、二人は結ばれることにはならなかった。
それでも、日々は淡々と続いていて、別れたあとも3か月同居している絹と麦。しかも二人は、本当にお似合いでまるで親友のよう。
私は、これは悲恋映画ではないが、悲恋映画を観たときと同じくらい哀しくなってしまった。
誰も不幸にはならない結末。しかし、奇跡のように出会った二人がこんなに円満に別れを選んでいいの?と思ってしまった。せっかく出会えた二人なのに。

この作品は劇的な要素はなにもなく、ありのままの現実を誇張せずとらえて、とても爽やかである。
主演二人の自然でフレッシュな演技と存在感のせいもあろうが、恋愛の楽しさ、きらめきを余すところなく伝えて秀逸。なおかつ切なさの中に、どこか気楽さというか、暗さを感じさせないものがある。
ああ、こんな気持ちどこかで私も体験したっけ、というような気分にさせる。先に述べているように、非常にありふれているのである。
しかし、それだけに私は観終わって、胸の奥がずきんと痛んだ。
(二人は結ばれないが)バッドエンドでない映画でこんなことってあるのかと、また不思議な気持ちになってしまう。
人は、二度と帰らない時を生きているが、❝好き❞というピュアな気持ちを忘れずにいたいものである。
私は最近、その❝好き❞をいくつ持っているかな?恋はしているかな?と年甲斐もなく自問してみた。

 

 

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