『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』レビュー

私はサリンジャーの作品を読んだことがない。読んだことがないが、彼を描いた伝記映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を観た。
なんの予備知識もなく観始めたが、「書くこと」とは作家にとってどういうことなのかの芯に触れた作品だった。
サリンジャーは作家志望の青年だったが大学中退を繰り返していた。そんな中、大学教授のウィットと出会い彼の指導のもと小説を書き始めるようになる。
私はサリンジャーについて何も知らないが、世間になかなか溶け込めない面と書くことへの欲望をもっているところにシンパシーを感じた。
そう、私も衝動的に書かずにはいられないという「書くこと」の欲求があるからだ。物心ついた思春期から書いていた。書くことだけが唯一のよろこびだった。生理的行為と言ってもよかった。

この映画では、サリンジャーが様々な紆余曲折を経て作家になり、一躍スターダムにのし上がり、やがて隠遁生活を送るまでの人生を描いていて非常に興味深い。
失恋、戦争体験などが彼の執筆を促し、「書くこと」で自分の精神を支えていた。しかし、一方でその体験があまりに彼の精神に暗い影を落としていたので書けなくなってしまった。
書けなくなった時期を乗り越えて、やっと出版にこぎつけたサリンジャーだったが、しだいに周囲から心を閉ざし田舎に引きこもってしまう。
得てして芸術家、あるいは創作をする者は、繊細で複雑な精神構造をもっている。サリンジャーもそうだった。俗世には馴染まなかった。
世の中の名声を勝ち得た彼だったが、ついには出版することなく生涯を終えた。数作の名作を残して…。

私が心に残ったのは、ウィットが彼に言った言葉だ。出版されるか否かにかかわらず、一生書き続けられるのか。
本物の物書きは、書くことへの情熱と衝動がある。枯れることなく書き続けるのは容易なことではない。サリンジャーは作家になることの夢が叶ったが、富や名声を得ることには興味がなかった。
それよりも自己の内面に耳を傾け、世間を遮断してまでも執筆に励んだ。
作家としての宿命、それは非常に孤独なものだ。突き詰めて言えば、創作活動とは、果てしなく孤独に身を置くことなのではないか。

「好きなことができて幸せです」「文を書くことが楽しくて仕方がない」、時にそんな人を見かけることがある。
しかし、本質的に創作とはギリギリまで自分を追い込んで、苦しみをも昇華させ、自分を解き放つ行為のような気がする。もがいてもがいて、やっと生まれる…自分を鼓舞しながら、歓びも哀しみも一緒くたに波のようにうねりながら出来上がった作品は、人々の心をとらえて離さない素晴らしい作品になるだろう。
サリンジャーは歓びと表裏一体の苦しみを享受しながら、本物の作品を作った本物の小説家であった。私はサリンジャーの作品を読んだことがない。読んだことがないが、手始めに『ライ麦畑でつかまえて』を図書館で借りて読んでみようか。

最後に…今やすっかり「書くこと」が疎かになってしまった自分に衰えを感じているが、サリンジャーのような小説家にはなれなくても、内なる炎をけして消し去ることがないように心に目を向けていたい。
本当の幸せとは、お金や名声や目に見えるものではないはずだ。

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