『哀愁』レビュー

今回は名画について書きたい。ヴィヴィアン・リーが主演した『哀愁』。およそ80年前の映画だから、モノクロである。
原題は、Waterloo Bridgeという。ロンドンにあるウォータールー橋で、男女が出会い、恋に落ちる。
ヴィヴィアン演じるマイラはバレエの踊り子をしている。マイラに恋する将校のロイ。二人は、出会って瞬時にときめきを感じ、ふたたび会う約束をする。
マイラに求婚するロイだが、二人の結婚が決まった矢先、ロイが戦地へ赴くことになってしまう。
ロイの帰りを待つマイラだが、バレエ団から解雇されてしまい、路頭に迷う生活。そんな中、突然目にしたロイが戦死したという新聞記事。
ショックを隠し切れないマイラは、彼の母親に会っても取り乱してしまい、しまいには娼婦に身を落としてしまう。

まず、この映画のヴィヴィアン・リーが美しい。
私は彼女を見ると、かつて新聞社で同期入社した2つ年上の女性を思い出す。彼女は面接にシャネルのワンピースで現れ、フェラガモの靴しか履かなかった。
近寄りがたいくらいのオーラがあり、実際ツンとしていた。そして、道行く男性が必ず二度見三度見するくらいの美女であった。
「男を選ぶとき、どこを見るか?」との問いに、即答で「車」と答えるような女性だった。
なるほど、車で大体の年収、センス、ステイタスがわかるからだ。なんと明快な返答だろうとハッとさせられた。
そんな彼女の何がヴィヴィアン・リーに似ていたのか。
まず、全体的な雰囲気や顔はそうだが、その高潔さだろう。
この映画で、ヴィヴィアン・リーは自分が娼婦になってしまったことを悔いている。そのことをロイの母親に打ち明け、それでも優しく受け容れられるが、どうしても結婚することが出来ない。
許せないのだ。彼を裏切ったという以上に、自分の高潔さが失われたことが。彼女にとって、めまいがするほどの出来事だったのである。そして、死を選んだ。
彼が許してくれたとしても、死を選んだだろう。

この映画には、キティという女性が登場する。
キティは、マイラと同じバレエ団に所属していた友人である。私は、女の友情はあまり信じていないが、彼女はマイラの良き理解者であった。
二人がバレエ団から解雇されて、一緒に暮らしている時、キティはマイラとの生活を守るために黙って身売りしていたのである。
そして、同じように娼婦になってしまったマイラがロイと再会する時も、彼女を案じながら幸せになってと送り出すのである。
良き友は稀なものだが、信じていい友情もあるのかもしれない。
私はヴィヴィアン・リーに似た同僚と、短いあいだではあったが、ほんのり友情に似た感覚を抱いていた(彼女はどう思っていたかわからないが)。
心根が腐っていない人とは、本音で話せるし、彼女は一見すると冷たい感じが最初したが冷淡でも傲慢でもなかった。
貴族のような彼女だったので、とてもいい人と結婚した。それから、音信不通になったが、幸せでいてくれることを願う。

話が逸れてしまったが、女は純潔でなくてもいいから高潔でなければいけないと思う。
これは身を汚している私が言えることではないのかもしれないが、そうありたいのである。
たった一人に殉じていたい。そこには打算も駆け引きもない。
私には、自由恋愛などは到底出来ないと思う。多くはいらない、ひとつでいい。
「あなただけを愛している、ずっと…」
その声がこだまする映画のラストに、切なさが滲む。ロイの心にも、マイラがずっと刻まれるのだろう。
哀愁。素晴らしい邦題である。愛とは何かについて考えさせられる、まさしく名画だった。

 

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