『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』レビュー

『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』鑑賞。ペギー・グッゲンハイムとは1889年生まれの女性で、主にモダンアートを収集し、多くの芸術家を支えたパトロンである。
彼女の芸術に対する情熱に賭けた人生のドキュメンタリー作品。
私は彼女のことを知らなかったが、興味深く観た。そして、とても面白かったのである。
彼女はジャクソン・ポロックを見出しただけでなく、ダリやピカソ、その他さまざまな芸術家たちに援助した。
芸術家というのは変わっている。得てして、風変わりな人が多い。彼らを愛したペギーもまたそうだった。人は彼女を変人と呼んだ。
彼女は容姿には恵まれなかったが、物を見る目があった。それらを芸術に対して向けた。自分の気に入った芸術家たちを積極的に支援し、コレクションしたのである。

蒐集癖は私にもあって、私はペギーのようにお金持ちではないが、ヴィンテージのものを見るとつい集めてしまう。
それに対しての知識はなくても、私は自分の直感を信じる。感じるか、感じないか。好きか、嫌いか。それ位の基準しかない。
本物であるとか、歴史的価値が高いなどは二の次なのである。
物の本質がわかるまで、よく見ることだ。見て、見て、見まくることだ。そうすると、少しずつ五感が研ぎ澄まされていくような感覚が満ちてくる。
その中で、自分の琴線に触れたものが見つかれば幸せである。
とはいえ、私にもよくわからないものがある。
この映画にも、ペギーに助言したとして紹介されるデュシャンという芸術家の『泉』が私にとってそうなのだが、なぜ便器がアートに成り得るかについてはまた考えてみたい。

彼女と交流した芸術家に、マン・レイも登場する。マン・レイ!
私はもうずっと前、大阪の美術館で彼の展覧会を観た。その時に、彼の遺品---帽子だったか、鞄だったかを見て、泣いた記憶がある。
一番最後の展示だったと思うが、その意味すら分からず、ただ涙した。
あんな体験は初めてだったので、自分でもびっくりしてしまったのだ。周りにいる人は、さぞ、おかしな女だと思ったに違いない。
これが美術に纏わる私の素敵な想い出。

話を映画に戻そう。
ペギーは、性にも奔放だったという。性へのエネルギーと芸術が結びついていたというのだ。
これも私にはよくわからなかったが、彼女は関わった芸術家ほとんどと関係した。芸術と寝た女(文字通り寝たのだが)。
それを隠しもしなかった。

彼女のベネチアにある邸宅は、ペギー・グッゲンハイム・コレクション美術館として現在も公開中である。
当初は一部でしか理解されなかったモダンアートを世界に認めさせたのは、彼女の大きな功績だろう。
彼女に悪評があっても、悪いお手本とみなされても、今の美術が存在することや素晴らしい作品に出会えるという礎を築いたのは評価されるべきである。
そして、私は彼女を憎めないチャーミングな女性と感じた。確かにとても変わっているが、身内の不幸が度重なりながらも、愛する美術に溢れた彼女の人生はけっこう幸せだったのではないかな。

 

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