『天気の子』レビュー

新海誠監督『天気の子』を鑑賞。
この映画は封切当時映画館で観た。新海作品ならではの美しい色彩感覚と壮大な現代ファンタジーのアニメである。
主人公の帆高は高校一年生。家出をして、フェリーで東京まで出てくる。東京での日々はままならず、ネットカフェに寝泊まりしながら仕事を探す生活。
所持金も底を尽き始めた帆高は、フェリーで出会った須賀という男を訪ねる。須賀は零細編集プロダクションを経営しており、帆高は住み込みで働くことを決める。
帆高は、少し前にマクドナルドでバイトしていた陽菜という女の子にハンバーガーをこっそり奢ってもらっていた。偶然再会した二人。
帆高は彼女に『晴れ女』の能力があることを知り、二人で雨を一時的に止ませ晴れの天気にするという仕事を起ち上げる。
思いの他、これが反響を呼んだのだが…。

新海誠の作品は、まことに神秘的である。
天気という自然現象を、人知を遥かに超えたスケールの得体の知れないものとして描いている。
陽菜に宿った晴れ女の能力は、使えば使うほど彼女自身を消耗させていく。そして、彼女が思っている以上にその力は半端なく、東京中を異常気象にしてしまう程のすさまじい威力をもつ。
彼女は人柱であるという。人柱という言葉を私はこの作品を観るまで知らなかったが、たった15歳の少女にとってこれは過酷すぎる役割である。
人の住む世界が彼女にすべてかかっていると言ってもいい。私は、民俗学にも都市伝説にも疎いのであまりよくはわからないが、何か深い意味がありそうである。
降りやまない雨の中、帆高と陽菜が再会を果たすラストでは、静かな感動が滲む。
ここでかかる音楽も、RADWIMPSである。映画のテーマ曲『愛にできることはまだあるかい』は、この物語にふさわしく、限りなく大きな美しさで胸に響く。
アニメは子供とオタクが観るもんだろと思っている人は、新海誠の作品を観てほしい。そんな偏見を私も持っていたが、それが吹っ飛ぶくらい素晴らしいのだ。
帆高と陽菜は生きていくだろう、たとえ突風が吹いても、嵐の日でも、豪雨が彼らを襲っても。
世界は狂ってる、しかし、そんな世界にも一筋の光があるかもしれない。それを手繰り寄せるように二人は手を取り合い、明日に挑むだろう。世界が、そこにある限り。

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