『エマの瞳』レビュー

『エマの瞳』(2017年)鑑賞。
目の見えない女性とプレイボーイの中年男性との出会いと恋を描いた物語。
ローマの広告代理店で働くテオは、ある日ダイアログ・イン・ザ・ダークというワークショップに参加する。
暗闇の中で会話するという仕組みだが、そこでエマという女性の声を聞き、魅力的に思う。
そんなテオは典型的プレイボーイで、恋人や愛人を持ちながら仕事にあくせくする日々。
一方エマは目が不自由ながら、理学療法士として自立した生活を送っている。
二人は百貨店で偶然再会し、急速に距離を縮めていくのだが…。

この映画はイタリア人の監督だからか、妙にエロティックに感じる場面があった。
それは、二人が結ばれる部分ではなく、テオがエマの施術を受けているとき。
エマの手がテオの体を滑らかに撫でるとき、その声の優しさにドキリとさせられた。
私はエマ役の女優さんについてはまったく知らなかったが、若くはないものの雰囲気があり自立した大人の女性の中に可愛らしさがあると思った。
そして目が不自由ということは一般的にはハンデだが、そういったネガティブなものを感じさせない明るさ、自然さが彼女にはある。
「君の声はセクシーだよ」と言って口説くテオは明らかにプレイボーイだが、見える世界を生きている人間と見えない世界に生きる人間の境界をこえて通じ合うなにかを監督は描きたかったのかなと思う。
この映画では「目に見えるものだけが、すべてか?」という問いかけがあるように感じる。
テオは言う、「青は青だ。見えるのは、目に見えるものだけだ」と。エマは続ける、「色の先にあるものが見えるわ」。
私たちは、普段から見たものを視覚的にとらえ判断する。エマの言う、「色の先にあるもの」を見ることは?感じることは出来ているだろうか?
もはや、これは身体的な問題ではなく、心の感じかたの問題なのである。そうなったら、色が見えることも、見えないことも関係がないのだ。単なる基準でしかない。

テオには賛否両論、というか批判せずにはいられない人も多くいるだろう。
しかし、なにせイタリア人でプレイボーイだから仕方がないのか。
マスコミとか広告関連のお仕事をしている人は(日本人であっても)イケてる人が多いように思う。これは、単なる個人的な経験による見解だが…。
そして、いつまで経っても若々しく魅力的で口が上手いのだ(だからコロッと騙されたりするわけだが)。
世の女性たちよ、大いに注意だ。もちろん、素敵なロマンスならのったほうがいい。あなたもずっと素敵な女性でいるために。
人生をおおいに楽しむために必要なことはシンプル。お腹いっぱい美味しく食べること、快眠、恋だ。
そこにハンデがあってもなくても、楽しむことは自由だ。誰かを見て、不自由と決めつけることが、もはや不自由ではないのか?
テオとエマが素敵な恋で結ばれた…と私は信じよう。

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