『君の名は。』レビュー

どうして、こんなに胸が締めつけられるのだろう。
どうして、こんなに涙溢れるのだろう。
新海誠作品の『君の名は。』を観た。
私はアニメはあまり得意ではない。しかし、新海作品の映像の美しさとそれ以上に心動かされる何かがこの映画にはあった。

いわゆる、入れ替わりという特殊現象により、記憶づけられた二人の少年少女。
東京で暮らす瀧という男の子と、飛騨地方のド田舎で巫女をつかさどる三葉の物語。
二人はふつうの高校生活を送っている日々の中で、ある日突然入れ替わるのである。そう、夢を見ているあいだだけ。
私はスピリチュアルを信じているわけではないが、この世には魂の片割れがいるという。それを、ツインレイと呼ぶ。
私はそれを信じているわけではないが、この映画はもしかしたらツインレイの映画なのでは?と思ってしまった。

夢。これは私の体験であり、この映画とは関係ないのだが、ここのところ不思議な夢をよく見るのである。
たいてい夢なんて、起きて覚えているのは、ものの5分くらいの私。起きてすぐメモにでも書き留めていない限り、覚えていることなんてない。しかも、大体が抽象的すぎる内容でうまく輪郭をとらえることさえ出来ない。
そんな私が見た夢。とても夢とは思えない感覚の夢。とても恥ずかしいが、誰かにしっかりと抱きとめられていた。そのぬくもりが確かにあった。皮膚の感触があった。骨張った繊細な手の心地が。
そのひとつひとつに懐かしさと安心感を覚えた。一度きりではない。何度かあった。そして、非常に生々しく私はずっとそれを覚えているのである。
誰?あなたは誰?何度か問いかけたが、おぼろげなシルエットしかわからない。
ただ、この人は私にとって大切な人なのかもしれないということだけが胸の中にはある。

ツインレイは、自分が自分である記憶以前から繋がっているという。
それまで何気に聞き流していたこの映画の曲ー--、RADWIMPSが歌う『前前前世』である。私は最近まで、よく売れた曲としか認識していなかった。
しかし、これが(ツインレイの)魂の片割れを探す遥かな旅が人生ということであるならば、すべてが合点がいく。タイトル、内容、映画、私の中ではすべてが一致したのである。
ツインレイには、サイレント期という別離の期間があるという。それは、二人がふたたび出逢うまでの試練のようなもの。
その間、二人の魂が結合するまで、それぞれが自分の生きる日々を生きながら、魂を成長させるのである。
この映画でも、それが見られるように思う。確かにあった記憶、それらがふとした瞬間によぎりながら、思い出せないでいる二人の姿。
そして、ツインレイにとっての魂の統合は、いわゆる大恋愛とか結婚するとかの一般的な想像を超えるものであるという。それは、世界を変えるかもしれないほど宇宙的なこと。
この映画におけるそれは、三葉の暮らす町に隕石が落ち大災害になって、町の人々に大きな被害が出ることを免れたことだ。記憶をなくす代わりに、大きな力を使い、それを防いだのだった。

こんな話はアニメじゃないか、映画じゃないか、妄想ではないか、誰も信じないのではないか、と私は片づけられない。
このアニメに語られる「結び」が本当にあるとするならば、私はそれを信じたい。
探している、どこかで探している。もしかしたらいるかもしれない、魂の片割れを。私を知っている、もう一人の私を。私を抱きとめたあの手を。
早く気付くんだ、早く思い出してと、心の声が叫んでいる。
私にとって、大切な人。
私にとって、忘れられない人。忘れてはならない人。
私にとっての、かけがえのない愛ー--。
なぜ泣けてしまうんだろう。この映画の、瀧と三葉のように。
もう一度巡りあうために、きっと私は生まれた。巡りあえるかな?巡りあえますように。絶対。絶対に。
どこかですれ違っているかもしれない、誰か。君。
私はこう言うだろう、まだ会ったことのないあなたへ。
「はじめまして。やっと、また会えましたね」と。
そして、今度こそ伝えるんだ、自分の本当の心を。
変わらない愛を。

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