『ダメージ』レビュー

ファム・ファタールが出てくる映画は数あるが、こちらの作品を観て私はあらためてファム・ファタールというものについて考えてみた。

わかりやすく言えば、蠱惑性があるということなのだろうが、この映画のファム・ファタールであるジュリエット・ビノシュは全くつかみどころがない。

つかみどころがない故に、恐怖すら感じる。

舞台は英国。下院議員であるスティーヴン(ジェレミー・アイアンズ)は、ある日フランス大使館主催のパーティーでアンナ(ジュリエット・ビノシュ)と出会う。

アンナは、新聞社に勤めるスティーヴンの息子マーティンと付き合っているという。ほんの少し会話をしただけだが、スティーヴンはアンナのことが印象に残った。

それからしばらく経って、スティーヴンの家にマーティンがアンナを連れてやってくる。まるで初めて会ったかのように振る舞うアンナに戸惑うスティーヴン。

スティーヴンにはもう一人子供がいて(マーティンの妹ということになる)、まだティーンエイジャーの娘にはアンナが何か不快なものに感じられる。それは、女の直感みたいなもので、思春期の娘にしてアンナの正体をなんとなく見抜いているように思える。

その後、スティーヴンのもとに電話が入る。アンナからだった。

スティーヴンは、ほぼ何も会話すらないまま、激情的に彼女と愛し合う。何か抗えない不思議な引力が動いているとしか思えない。二人は密会し、関係を重ねる。

アンナという女についてだが…というか、ジュリエット・ビノシュについて思うことなのだが。

この女性が持っているのは、成熟した色気とは程遠く、何と言ったらいいのだろう。透明な何か。それが彼女にはある。派手な印象はなく、多くを語らない知的な魅力と言ったらいいか。

スティーヴンの家庭にはなんら問題はない。とても恵まれている。気立ての良い妻は、スティーヴンを尊敬しているし、何不自由ない暮らしだ。

スティーヴンを演じるジェレミー・アイアンズについてだが、私が魅力を感じる俳優が彼だ。
育ちの良い犬のような瞳をしている。仕立てのいい服がよく似合う。

ジェレミー・アイアンズは、破滅へ向かっていくのが似合う。彼自身がそれを望んでいるかのように、まんまと破滅へと向かってしまう。

彼は、むしろ品行方正である。はみ出さない。そうあろうとする。しかし、あまりにも彼は自分の生き方に正直過ぎた。

マーティンは、アンナとの結婚を決意し、それをスティーヴンの一家に報告する。動揺を隠せないスティーヴン。仕事中にも頭によぎり、懊悩する。

公園にアンナを呼び出し、妻とは離婚すると告げるスティーヴン。それが、けじめであると。しかし、彼女はそれに反対した。

「すべてを失うことになる。それで、あなたは何を得るの?」
「何って。君さ」
「私?私をもう得ているじゃない」

アンナには暗い過去がある。それはアンナの兄のことだ。アンナが15歳のときに兄が自殺したのだ。アンナの母はフランス人で、何度も結婚を繰り返すような女性なのだが、そういった環境の中でアンナと兄は互いを必要とし生きてきた。

しかし、兄からの束縛が強くなり、次第に恐怖を募らせていった彼女は幼馴染のピーターと交際する。兄を拒絶するアンナに対し、兄は大きなショックを受け、自殺してしまう。

彼女の雰囲気にどこか翳りというか、悲しみがあるのはそのせいなのだ。

アンナの母の家でも家族そろっての結婚報告が行われたのだが、マーティンは死んだ兄にそっくりだと口にするアンナの母。凍りつく空気に気まずさを感じる中、アンナの母は気づいてしまう。これも女の鋭い勘といってもいいが、スティーヴンと娘のアンナがただならぬ関係であることを見抜いてしまう。

アンナの母は、スティーヴンと二人になるとこう告げる。

「あなた、アンナのことを一度も見なかったわね。私にはわかるのよ。悪いけど、アンナの幸せのために身を引いてちょうだい」

スティーヴンの精神は追い込まれていく。

息子の婚約者と関係を持っている、そのことにひどく罪悪感と苦悩を感じた彼は、やはり仕事が手につかない。昇級したというのにだ。

こういう精神的葛藤を演じて、ジェレミー・アイアンズはひどく魅力的だ。何度も試みる。彼女との関係を断とうと。

アンナに別れを告げる電話をするとき、ほとんど彼は窒息寸前ではないか。私は、何かたまらないものを感じる。

マーティンとの結婚に向けて着々と準備をすすめているアンナだが、ある日、アンナからスティーヴンの職場に贈り物が届く。それは、アパートの鍵だった。

やはり気持ちが自制出来なくなった彼は、アンナのアパートへ向かう。

アンナは平然と言う。「あなたと会えるから結婚するの」と。こういうことを口に出来るあたりが、もう本当に恐ろしい。微笑み。なんなのだ、その微笑みは。

ここでもやはり、スティーヴンは抗いきれない力に飲み込まれ、アンナと愛し合ってしまう。しかし、間が悪く、マーティンが彼女のアパートに来てしまう。

人生最大の修羅場ともいえる場面なのだが、二人が愛し合っているところを目撃してしまったマーティンは思わず後ずさった拍子にアパートの階段から転げ落ち死んでしまう。

マーティンの不慮の死に嘆くスティーヴン。しかし、アンナはその場から姿を消してしまう。

帰宅したスティーヴンは、キッチンでおかしな様子の妻を見る。妻はすべてを知ってしまっている。

妻はスティーヴンに、何故自殺してくれなかったのかと問う。誰もが羨むような生活を手にしていた夫婦。だが、マーティンの死により完全に崩壊してしまったのだった。

スティーヴンは、手にしていたものすべてを失った。彼はその後、すっかり変わってしまった。イギリスを離れ、どこかちがうヨーロッパの異国で独りで暮らしている。

生活自体が質素なものだし、彼の風貌もヴァガボンド(放浪者)のようだ。

壁に大きな写真が貼られている。そこには、マーティン、アンナ、スティーヴンが一緒に映っている。じっとそれを見つめるスティーヴン。

ここで衝撃のラストになるのだが、彼がすべてを失くした数年後に偶然アンナを空港で見かけたというナレーションが入る。普通の女だった。驚愕である。なんということだ!

得も言われぬ恐怖が鑑賞者に走るのではないだろうか。

私はルイ・マル監督の作品は初めて観たが、ジェレミー・アイアンズが出ているのでずっと観たかった。彼にはエレガンスがあるが、人間の微妙な心の機微を捉えることの出来る俳優だと思っている。
アンナと交わっている場面も見ていられないというか、滑稽な感じがしないでもない。しかし、絶望の淵にたった彼の姿は、やはりどこか美しいのである。だから、最後まで鑑賞していられる作品だった。

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