『ミス・ポター』レビュー

私が物語を読むのと同時に頭の中で紡ぐ楽しみを覚えたのは、幼少の頃。きっと絵本がきっかけだった。
それは二匹のうさぎのせいだ。一匹は、にしまきかやこという人の『わたしのワンピース』という絵本。
もう一匹はビアトリクス・ポターの書いた有名なピーターラビットである。
内向的でだれともあまりおしゃべりしない子供だった私に、母は様々な本を買い与えた。その中にその二冊があったのである。
二冊と言っても、ポターのピーターラビットは、シリーズをBOXで買ってもらっていたのかもしれない。
とにかく、好きだった。絵もお話も。とびきり可愛くて、とくにピーターラビットはもう忘れてしまった話も多いが、茶目っ気のある動物たちがめいっぱい動き回るのが、いたずら好きの私にも親近感を与えた。

今回ご紹介するのは映画『ミス・ポター』(2006年)。ピーターラビット生みの親のビアトリクス・ポターをレネー・ゼルウィガーが好演。
1900年代初頭のイギリスで、一人の女性が絵本を出版するという大きな功績を成し遂げる。しかも、洋服を着たうさぎの物語である。
この映画は、女性が自立するということや自分の仕事(それは単なるワークというより、ライフワークといえる)を見つけるということがどういうことなのかを教えてくれる。
一方で、女性の幸せについても考えさせられる作品である。当時はポターのように30過ぎても未婚というのは奇異な目で見られることだった。
現代ではそんな風潮ももうあまりないのだろうが、なにせ時代が時代ゆえ、保守的なイギリスではとくにそうだったのだろう。
『安定のために結婚し、こどもを産む』のが普通であった。しかし、この映画の主人公ポターと、(のちにポターとロマンスのお相手になる)ノーマンという男性の姉であるミリーの考え方はちょっとちがう。
それは、結婚できないからというやっかみで未婚を主張するのではなく(もしかしたら多少そんな気持ちもあるのかもしれないが)、真に生きることをまっとうするために妥協はしないという強い意志力のように感じた。
しかし、先述したとおり、ポターはノーマンと恋に落ちる。ノーマンはウォーン社の一族の末息子である。彼はポターの描く物語に魅せられ、いろいろと尽力をし、ポターの出版を成功に導いた。
そんなノーマンからの求婚に迷わず「イエス!」と答えるポターは、考えを変えたわけではない。未婚同盟のような関係のミリーに結婚の許しを請うポターに、ミリーはこう言う。「愛に生きるの」と。
この結婚には、一切の打算がない、愛あるものだと見込んだからポターもミリーも迷いがなく受け止めれたのだった。
あまりネタバレになるので書かないが、これは大人の女性が観るべき映画である。ピーターラビットは児童向けだが、ひとつの夢を叶え、自己実現した女性のお話だから共感できる部分がきっと見つかるはず。自分の夢がある女性ならなおさら。
私もライフワークと呼べるものを見つけたい、そのためには悲しい出来事にもいちいち立ち止まってはいられない。ポターは愛するノーマンを失って自分を見失いかけるが、人生の軸を失っていない限り、また愛に生きれるようになるのである。
愛とは、単に男女間の人間の愛だけにとどまらない。ポターは自然を愛したし、それこそが最も彼女らしい彼女のライフワークだったのではないかな。
私は、ポターをレネーが演じて良かったと思っている。素朴かつ自然な雰囲気、(いい意味で)美人過ぎないあの魅力。私は、彼女に人間的な魅力を感じるのだ。性的アピールに満ちた若い娘もいいが、あんなふうに味わいのある女性は心に残りやすい。

さて、いまこの文章を書いている時間は夜。私の心がいきいきと目覚める時間、外は静かだが胸がざわめく時間である。
夜眠る前に絵本を一冊読もうかしら、やはり心に浮かんだイメージやお話遊びはやめれない。
空想することの素晴らしさをミス・ポターは知っていたのですね。今日も、元気で可愛い野うさぎが頭の中を跳び回っています。ぴょんぴょん、ぴょこぴょこ、いつまでも自由であります。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました